2009年11月15日 (日)

那須に遊ぶ

Dscn8550 那須の紅葉

11月10日から11日にかけて、梅爺と梅婆は、一泊で那須へ遊びにでかけました。梅爺の大学時代の合唱仲間Wさん(故人)の奥様から、『東急ハーベストクラブ』というリゾートホテルの宿泊予約券を頂戴し、これを利用して、『那須国際カントリークラブ』に隣接する『東急ハーベストクラブ那須』に宿泊しました。何もかも豪華で、年金老人夫婦は、この時ばかりは、『日常』を忘れてしまいそうになりました。

今までにも、W夫人が、『東急ハーベストクラブ』の会員になっておられるために、便宜を図っていただき、W夫人、友人のUさんご夫妻、それに梅爺夫婦の5人で、軽井沢や鬼怒川に一泊旅行を楽しんできました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-05be.html

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-7b0a.html

今回は梅爺夫婦だけの旅なので、最初は蓼科高原に車で出かけようと思いましたが、予約した頃に雪が降ったことが分かり、このまま雪が残っていたりすると、老人夫婦の運転は危険と判断し、急遽、予約をキャンセルして那須へ変更しました。

10日は、天候に恵まれ、宇都宮で高速道路を降り、『日塩(日光塩原)もみじライン』を利用して、今が丁度見ごろの見事な紅葉を堪能することができました。11日は、一日中あいにくのドシャ降りでしたので、那須近辺の屋内観光施設をまわり、見学、食事、ショッピングをゆっくり楽しんで、夜、老犬が待つ青梅に帰宅しました。

Dscn0488 日塩もみじラインの紅葉

梅爺は、今まで那須は、仕事で出向いたことはありましたが、ゆっくりした観光は今回が初めてでした。カンボジア、ベトナム旅行の印象がまだ強く残っているために、『日本はなんと素晴らしい豊かな国なのか』と、強く感じました。『御用邸』があったり、明治の元勲達が競って別荘を構えたくらいですから、元々那須はすばらしい土地柄なのでしょうが、それにしても、景色はいうまでもなく、道路、観光施設とどれをとっても、驚くほど充実しています。

こういう旅行の欠点は、『つい、ハメをはずして食べ過ぎてしまう』ことですが、幸い、帰宅後測定した体重は、それほど増えてはおらず、ホッとしました。

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2009年11月14日 (土)

出雲の国の謎(4)

日本の古代史で、いつも脚光を浴びるのは、北九州と畿内です。『邪馬台国』の所在地をめぐっても、この二つの地方が、『当方こそ邪馬台国』と今でも主張しあって、明確な決着がついていません。

それに比べ、山陰の『出雲』は、『ヤマト建国』の折に、何らかのかかわりがあったらしいという程度の関心に止まってきました。それにしては豊富な『神話』の数々や、謎めいた風習や言い伝えが現在でも出雲地方に存在することが気になりますが、歴史事実を裏付ける考古学的に重要な遺跡の発見が従来少なかったこともあり、それほどの『日本史にとって重要な地域』とは、みなされてきませんでした。

ところが、1984年に、松江市の西方の斐川町で『荒神谷(こうじんだに)遺跡』が見つかり、なんと、銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6ケが一挙に発掘されるに及んで、『日本史の常識を覆す大発見』ということになりました。ちなみに、それ以前日本で発掘されていた銅剣の数は総数で300本程度でしたので、この遺跡がいかに特殊なものかがわかります。銅矛と銅鐸が一緒に見つかったという例もこの遺跡だけです。

更に、『荒神谷遺跡』のそばの『加茂岩倉遺跡』からは、39ケの銅鐸が発掘されました。こんなに沢山尾銅鐸が一箇所で見つかった例も、他にはありません。

更に、更に1988年に、今度は鳥取県で、『青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡』と『麦木晩田(むきばんだ)遺跡』が見つかり、人骨5500点、鉄製品270点などが発掘されました。一番驚くべきは、殺されたと思われる人間の遺体や、『弥生人の脳みそ』までが、かなり良い保存状態で発掘されたことです。

これらを総合すると、弥生期の末期に、山陰には『大きな勢力圏』が存在していたことは、今では明白と考えられるようになりました。青銅器ばかりではなく、鉄器が見つかっていることも注目に値します。しかし、『ヤマト建国』後、時代が古墳時代に移ると、出雲は何故か急速に衰退していったように見えることから、古代史にまた新たな謎が加わることになりました。

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2009年11月13日 (金)

出雲の国の謎(3)

日本に残されている、古代史にかかわる重要な文献としては、『古事記』『日本書記』『風土記』があります。『記紀(古事記、日本書紀)』は、6世紀中葉から8世紀にかけて、大和朝廷の貴族によって編纂されたと考えられています。『ヤマト建国』から200年以上が経った後のことということになります。

後に、『記紀』の内容は、『史実』であるという主張と、『作り話』であるという主張が繰り返されました。『史実』を主張して有名なのは、江戸時代の国学者本居宣長や、明治政府の歴史教育に関わった人たちであり、『作り話』を主張したのは、大正時代の津田左右吉などですが、第二次世界大戦に敗北して以来、多くの日本人は、完全な『作り話』とまでは言わないまでも、『伝承神話』であり、そのままを『史実』とは考えない風潮になりました。

『記紀』を、精読したことがない梅爺は、『「出雲」抹殺の謎』という本を読んで、『記紀』の内容の約2/3が、『出雲神話』を引用しているということを知りました。これは一体何を意味するのかと、著者の関氏ならずとも、疑問を抱くのは当然です。

単純に考えれば、『ヤマト』自身には、継承されている『神話』が無かったために、『出雲神話』を借用したとも思えますが、そうなのでしょうか。大体、『記紀』の著者(達)は、ヤマト建国当時、実際に『何があったのかの真相』を知っていたのでしょうか。『記紀』が書かれる200年以上前の事柄について、もしある程度の知識があり、その内容に、必ずしも『大和朝廷』にとって『好ましくないこと』が含まれていたとすれば、『大和朝廷』の正統性を主張するために、『内容を歪曲した、潤色した』と考えたくなります。『出雲神話』が多く引用されているということは、『出雲』が、この『歪曲・潤色』とどう関わっているのかを知りたくなります。

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2009年11月12日 (木)

出雲の国の謎(2)

考古学を追求する手段は、現在に残る『遺跡』『遺物』を手がかりにすることと、継承されている『文献』を解読することの二つがあります。人類が、『文字文化』を保有する前と後では、手がかりの量と質に、決定的な差があることがわかります。

中国に『魏志倭人伝』が残されていなければ、3世紀ごろの日本に『卑弥呼』という、シャーマニズムをベースにした女性の支配者がいたという『事実』は、『分からなかった』ことになります。『邪馬台(国)』も『卑弥呼』も、当時の日本人の発音を、耳で『聞いた』中国人が、『漢字』を当てはめたものですから、『ヤマタイ』『ヒミコ』が、日本の呼び名に『近かった』ものではないかと推測できます。中国は、周辺国家の名前の当て字には、わざと『卑しい意味を含む漢字』を用いましたので、たまたま『卑』や『邪』が使われただけのことです。

現在の日本人が、『ヤマタイ』は『ヤマト(大和)』、『ヒミコ』は『ヒノミコ(日の巫女)』でつまり『天照大神(あまてらすおおみかみ)』のことではないかと類推するのは自然なことです。この本の著者関氏は、伊勢神宮の外宮は、『豊受大神(とようけのおおみかみ)』を祀っていることから、『豊受大神』は、『ヒミコの宗女トヨ(台与)』のことではないかと、類推されています。しかし、後に大和朝廷が、編纂した『神話』で、自分達の『皇祖神』であるとした『天照大神』(伊勢神宮の内宮が祀る神)は、『ヒミコ』ではなく、歴史上の他の人物であると推定しておられます。

しかし、これは、『そうかもしれない』と思わせる『仮説』であって、真相は、今のところ分かりません。

ここで、重要なことは、『神話』は、『単なる作り話』と見るか、『何らかの事実が、姿を変えて伝承された部分を包含する』と見るかです。

『古事記』『日本書紀』を、どちらの視点で見るかは、江戸時代から現在まで、論争が繰り返されてきています。梅爺は、『作り話』か『作り話ではない』かという、両極端の議論はあまり意味のないことで、『作り話でもあり、真実の一端も包含している』と考えるのが、妥当ではないかと感じています。

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2009年11月11日 (水)

出雲の国の謎(1)

梅爺は、昔から、日本古代史の中で、『出雲』は、『何か、わけありの場所』ではないかと、『感じて』いました。古代史に深い知識があるわけではありませんから、文字通り『勘』で、そう感じていたことになります。

とはいえ、梅爺が不思議に思うことは、以下のような事柄です。

(1)出雲に、突然、歴史の古い大きな大社があるのは何故か。天皇家の正当な神社は『神宮』と呼ばれるのに、この壮麗な神社が、『大社』とされているのは何故か。出雲大社が、ことさら他の神社と異なった様式をとる(柏手の打ち方などや、しめなわの結い方など)のは何故か。
(2)日本中、10月は『神無月』なのに、出雲だけは、どうして10月は『神在月(かみありつき)』なのか。日本中の神様は、何故伊勢神宮に集まらずに、出雲大社に集まるのか。
(3)『大国主命(おおくにぬしのみこと)』とは誰なのか。大和朝廷とはどのような係わり合いがあるのか。
(4)そもそも、出雲には大和朝廷が成立する前に、大きな国(有力な豪族の支配)があったのではないか。日本の歴史で、出雲の重要性があまり論じられないのは何故なのか。

何気なく、本屋で書棚を眺めていましたら、『「出雲抹殺」の謎:関祐二著:PHP文庫』が目に入り、『ひょっとすると、梅爺の疑問に答えていただけるかもしれない』と買い求めました。梅爺は、『○○の謎』という本のタイトルに弱い一面があります。

著者の関裕二氏は、歴史作家で、ほぼ梅爺と同じような疑念を持たれ、永年独自に出雲に関する考察を続けられてこられた方であることがわかりました。

梅爺は、たった590円の投資で、関氏の永年の考察プロセスを、短時間で辿ることができるわけですから、こんなラクチンでありがたい話はありません。精神的な娯楽として、本ほど、付加価値の高いものは、そうはないことを思い知ります。『グーテンベルグさん、あんたは本当に偉い!』と言いたくなります。

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2009年11月10日 (火)

『遊び』とは何だろう?(4)

梅爺が月に1回参加している『横浜フォーラム』で、人類学者の尾本恵市先生が講演された(梅爺は残念ながらその回は欠席)後に、主催者のMさんから、先生の雑誌投稿記事のコピーをいくつか送っていただきました。その中に、人間を他の動物と区別する一つの要因として、『化粧をする、装飾品を身につける』ということが書いてありました。

『化粧をする、装飾品を身につける』は、明らかに『遊び心』の一種と思えますが、この一見些細に見えることが、実は、人間の本性の重要なことを意味しているのではないかと、梅爺は想像しました。

種の保存の目的で、異性の関心を惹きつけるための本能の発露という面もあろうかと思いますが、『自分を自分ではないものに変身させた時に、自分の身に起こるであろう変化を、予測できる能力』、つまり、因果関係を論理的に考えて、将来を推測できる能力を、人間が保有したことが、動物とは異なったこの習性を産み出したのでないでしょうか。

心理学では、『変身願望』などと表現されますが、人は外見を変えると、不思議なことに精神状態まで変わってくることが指摘されています。『お面(仮面)』をかぶる、などはその典型です。梅爺は、梅婆から、家にいる時も、身だしなみには気を配ってください、と言われていますが、面道臭さがりのために、なかなか励行できません。グータラの格好をしていると、グータラな生活になってしまう、ということは頭で理解できても、実践できないのですから、厄介です。『地位が人間をつくる』などというのも、外的な条件が、人間の精神生活に大きな影響を与えている証拠かもしれません。

単純な将来予測能力は、動物も保有していると思いますが、複雑な因果関係を想定して、将来を予測できる能力は、人間だけが獲得した能力のように見えます。この能力ゆえに、人類の文明のほとんど全てが高度化してきたといって過言ではないでしょう。科学は勿論のこと、芸術、宗教、哲学なども、この能力なければ、存在しません。

この能力は、人間をポジティブにしたり、幸せにしたばかりではなく、将来のネガティブなことまでも推測できることで、不安や恐れという代償ももたらしました。自分の思惑で周囲をみて、将来を推測しますので、ありのままに環境を受け容れることが難しく、煩悩を産み出すことにもなりました。散る桜を観て、人生のはかなさを知るなどという行為は、人間以外の動物にはできません。

そして、最大の悲劇は、『推測したこと』と『事実』を混同してしまいがちなことです。人生は、自分の推測とは関係無しに、多くの幸運や不運に遭遇するようにできていると、なかなか単純には達観できません。

梅爺も、先を推測する性向が強く、日常的に煩悩に苛(さいな)まれながら生きています。

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2009年11月 9日 (月)

『遊び』とは何だろう?(3)

『遊び』の意味は、幼児期、少年期、青年期以降で異なるのではないかと、梅爺は想像しています。幼児期は、周囲の環境に興味を抱き、好奇心から色々試行錯誤をして、認識の訓練や、経験の蓄積をしていくことが主目的で、そのたびに、未成熟であった脳神経細胞の接続が、成熟度を増し、大人になるための準備がなされるのではないでしょうか。従って、幼児期の『遊び』は、非常な重要な意味を秘めていることになります。最近、脳科学者の奥さん(オバーチャン)が、『前頭連合野』の刺激が幼児には必要と唱え、話題になっていますが、このことに他なりません。

人間ばかりではなく、動物も子供の時には、『じゃれる』というような、一見『遊び』に見える好意を行いますが、これも人間同様、脳神経細胞の接続完成度を高めるための準備として必要な行為ではないかと思います。

人間の青年期以降の『遊び』は、幼児期のような、手当たり次第の試行錯誤というより、行為の因果関係を知った上で、または結果を予測した上で、なんらかの『楽しみ』を求めていることに意味があるように思います。『楽しみ』の追求は、明らかに『楽しくないこと』を中和したり、緩和したりしたいという、脳のストレス・ヒーリングではないでしょうか。人間の身体は、怪我や病気を自分で癒そうという、基本能力が遺伝子で付与されているのと同様に、脳のストレスを癒そうとする基本能力が付与されているように感じます。楽しいことを考えて、嫌なことを忘れようとしたりするのも、基本的には『遊び』と共通した行為ではないかと思います。

こうすれば『楽しいこと』が得られるということを、経験で知っていたり、予測できるためには、かなり高度な脳の記憶能力、論理思考能力が求められます。大人になった動物が、『遊び』に興味を失うのに比べ、人間は大人になっても『遊ぶ』ことができるのは、この脳の発達レベルの違いのように思います。

人間の少年期は、幼児期と青年期以降の中間で、どちらの要素も含まれている時期と予測できます。

いずれにしても、人間にとって『遊び』は、重要な行為でありそうな気がします。『遊び』は人生の浪費(無駄)と、一方的に断ずることはできないのではないでしょうか。

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2009年11月 8日 (日)

『遊び』とは何だろう?(2)

言葉はその国の文化そのもので、その国の人たちの『ものの考え方』を如実に反映しています。日本語の『遊ぶ』も、広範な意味に使われますが、英語の『play』と一対一で対応するわけではありません。外国語を学ぶことは、その国の文化を学ぶことに等しいと分かりますが、同時に、深い理解が、いかに難しいことかも分かります。

英語の『play』は、『本来の自分ではないことを演ずる』ということから、思いもよらない体験を楽しむ、という意図が感じられます。一方、日本語の『遊ぶ』は、『自分の心を解き放って、その状態を楽しむ』というような、精神に関わる概念が基本にあるように感じます。言語学者ではない梅爺の直感ですから、間違っているかもしれません。

『心を遊ばせる』というような日本語を、英語にする時には、『play』は用いず、『free one's mind』などと表現するのではないでしょうか。つまり、日本語の『遊ぶ』を英語にしようとすれば、『play』だけで済ますわけにはいきません。

日本語の『ワビ』『サビ』などという感覚も、『遊びの境地』があって、初めて、感ずることができるもののように思います。日本人同士なら、一瞬にして共有できるこのような感覚を、外国人に、外国の言葉で理解してもらうことは大変難しいことです。『茶の本』を英語で書いた岡倉天心の苦労と、凄さが分かります。

『遊び』は、高尚な心に裏付けられている時は、限りない高みへ導いてくれる可能性を秘めていますが、刹那的な快楽の対象となる時には、限りなく低俗なものとなってしまい、事後に満足感どころか後悔の念が残ることになります。日本語の『遊び』は、この両極端な概念を全てカバーしているとは思いますが、人が生きていく上で、『遊び』は大切なもの、という感覚が根底にあるように感じます。時に『ドンチャン騒ぎ』もいいではないかと許容しながら、一方、一人月を見て涙することも、『遊び』としてとらえているのではないでしょうか。また、このことは繊細な心の人には、『繊細な遊び』があり、粗雑な心の人には『粗雑な遊び』があるということを意味することにもなります。

『車のハンドルに微妙な遊びがある』などと日本では表現します。この『遊び』をどう感ずるかは、ドライバーに任されますが、メーカーは、『無駄なもの、不必要なもの』を提供しているわけではありません。このようなことにまで、繊細な配慮をするのが日本の工業製品の特徴で、外国人は、驚いたり、時にあきれたりします。

『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)』は、世界共通ですが、『遊び』という言葉の概念は、国や文化で微妙に異なっていることを知る必要がありそうです。

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2009年11月 7日 (土)

『遊び』とは何だろう?(1)

梅爺は、哲学者のように、眉間(みけん)にしわを寄せて、深刻に悩む程ではありませんが、『人間は何故遊ぶのか』というテーマには興味をおぼえます。ホイジンガーが、人間の特性を『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)』と表現したのは、なかなかの慧眼ではないかと感心してしまいます。

世の中には、『遊び』という言葉を聞いただけで、忌避反応を示す謹厳実直な方がおられます。こういう方は『遊び』は、『無駄なこと』の代名詞で、『時間、金、人生、能力の浪費』と考えておられるのではないでしょうか。暗い部屋に一人閉じこもり、機械相手にゲームに熱中するオタクなどを思い浮かべれば、そう言いたくなる気持ちも分からないでもありません。従って、迂闊なことはいえませんが、人間にとって『遊び』は大切なことではないかと梅爺は感じています。例によって、DNAの話で恐縮ですが、生まれながらに『遊び』を指向するように、脳はプログラムされているように思います。つまり『遊び』という機能が、必要なこととして組み込まれていると想像できます。勿論『遊び』が目的ではなく、ある目的の手段として組み込まれている、という意味です。

幼児期や少年期に、『遊び』がいかに大切なことかは、脳生理学などの分野などで、明らかになっています。『遊び』による疑似体験によって、脳神経細胞の健全な接続が促されることが分かってきたからです。沢山遊んだ子供ほど、将来大人になった時に、実践で利用できる脳組織が豊富に形成されるということでしょう。この時期の『遊び』は、『時間の浪費』どころか、将来のための貴重な投資であることが分かります。遊び上手な子供は、大人になった時に、個性的な発想ができる人間になる確率が高いとも言えます。

梅爺が、面白いと思うのは、大人になった時の『遊び』感覚が、男と女でかなり異なっているように見えることです。部屋の中一杯に、列車模型が走るジオラマなどを作ったり、他人には価値の無い『モノ』を、懸命に蒐集したりと、実利のないことに熱中するのは、だいたいオジサンで、多くのオバサンは、こういうことにはほとんど興味を示しません。余程できたオバサンでないかぎり、こういう『遊び熱中オジサン』は、冷ややかに扱われます。オバサンからの総反撃を受ける前に申し上げれば、ここで言う『遊び』は、『一見実利を伴わない遊び』のことで、芸術を愛好するなどの『心を満たす遊び』については、男女差があると言っているわけではありません。

『種の保存』の観点から、この男女の資質差にも、意味があるのであろうと感じます。外で生活の糧を手に入れるには、好奇心を原動力に、色々な試行錯誤をする『遊び』の要素が必要で、家で子供を産み育てることには、『実利』が必要ということかなと、想像しますが、あまりにこの考え方は常識すぎて当てになりません。

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2009年11月 6日 (金)

古代エジプトの『死者の書』(3)

古代エジプト人が亡くなったときに、どのような儀式が行われたのかも、『死者の書』で知ることができます。ミイラの作り方も、現在では科学的に大半が解明されています。ミイラや棺には、『乳香』『もつ薬』『黄金』が使われており、エジプトでは手に入らないものを得るために、『海上交易』が行われていたことも分かっています。キリストが誕生したときに、東の3人の博士が、『乳香』『もつ薬』『黄金』を携えてはせ参じたなどという新約聖書の記述は、どうみても取ってつけたような話で、エジプトの『貴重品の話』を流用したとしか考えられません。また、キリスト教の祈りの最後に唱えられる『アーメン』は、ヘブライ語の『そのとおり』という意味で、ユダヤ教のしきたりを踏襲したものというのが通説ですが、言葉の響きは、エジプト的であるようにも感じます。古代エジプトの太陽神の名が『アメン』です。

『死者の書』は、全部で189章からなっていることが分かっていますが、死者の位や、所有している財産の多寡で、神官は、その中から適当にみつくろって『その人に適した死者の書』をつくっていたと考古学者は見ています。つまり『死者の書』は、神官の金儲けビジネスの対象であったことがわかります。

カトリックが腐敗し、宗教改革の原因になった『免罪符の発行』や、現在の仏教でも、高貴な文字を用いた『戒名』は高価であることを考えると、古代エジプト人だけを笑うわけにもいきません。

『永遠の楽園』『天国』『極楽浄土』にいけるかどうかが、儀式の規模や、僧職者に支払う金額の多寡による、という話は、誰もが『何となく変だ』と感じながら、それでも、確証の無い話なので、『もし本当であったら困る』と考え、現代人もそのように対応しています。大昔の人が考え出した話が、文明科学の現代でも、多くの人を支配し続けていることになります。

『文化財の保護』と『略奪』が、過去にきわどい表裏であったように、『魂の救済』と『金儲け』が、今でもきわどい表裏になっているように思います。聖職者と言えども、現世では霞だけを食べて生きていくわけには行かないことを考えると、ある程度のことはしかたがないと思いますが、時に『欲望が度を越す』ことがあるのは、いただけない話です。

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