2012年2月 1日 (水)

塩野七生(100年インタビュー)(1)

NHKBSプライム・チャンネルで、作家『塩野七生(ななみ)』さんへのインタビュー内容が『100年メッセージ』として放映され、録画して観ました。

塩野さんは、イタリア在住で、ローマ帝国や中世ヨーロッパを題材にした多くの著作て有名な女流作家です。

塩野さんの発想と表現は、梅爺が頭の隅で、なんとなく感じていながら、適切な表現方法が思い当たらず、モヤモヤしている時に、それを見事に代弁してくださる感があり、大好きです。おこがましい云い方で恐縮ですが、『波長が合っている』と感じる作家のお一人です。

梅爺は、普段周囲から、『物事を素直に受け取らない』『他人の話に水をかける』などと非難されることが多く、云いかえれば『ズレている人』の部類に属するらしいことを知って、『そうか、俺はズレているのか』と自分でも思い込むようになりました。

自分が『当たり前』に発想、表現していることが、実は他人からみると『ズレている』ようにみえているらしいということですから、自分は『それほどブスではない』と内心思っているのに、『あいつはブスだ』と言われているようなもので、本心は釈然としないものがあります。どうせそう言われるのであれば、『ブスのままで通してしまえ』とばかりに、『梅爺閑話』のような内容を、節(せつ)を曲げずに書き続けています。

しかし、塩野さんの文章を読んで、梅爺は何の違和感も覚えず、むしろ『波長が合っている』と感ずるわけですから、もし梅爺が『ズレている』なら、塩野さんも『ズレている』ことになるはずです。それなのに、塩野さんの著作は、ことごとくベストセラーになるわけですから、ひょっとすると、世間は『ズレている』人を待ち望んでいるのかもしれない、自分の存在価値もそう捨てたものでもないのかもしれないと、淡い希望が湧いてきました。

たしかに、『一見、誰一人ズレている人がいない』ように見える、北朝鮮のような社会は不気味ですから、『ズレている』人を認める社会は健全で優れているのではないでしょうか。『梅爺閑話』は、顰蹙(ひんしゅく)を買うことはあっても、言論弾圧の対象にはならない現在の日本は、ありがたい社会であると感謝しなくてはなりません。

塩野さんは、『男の心理を書く、女らしくない作家』とよく言われますが、インタビューの中では、『女の心理を書く男の作家がいるのですから、その逆があっても不思議ではないでしょう』と笑っておられました。勿論、そのようなことを意識しながら書いておられるわけではなく、当たり前に発想すると、それがたまたま『男の発想』に近いということで、『発想』そのものの価値とは関係が無いように思います。

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2012年1月31日 (火)

『横浜フォーラム』200回記念新年会

梅爺の大学時代の合唱仲間(同期生)である畏友Mさんが主宰する私的会合『横浜フォーラム』が記念すべき200回を迎え、新年会を兼ねて盛大に開催されました。(1月28日、東京駅隣接JR東日本サピアタワーのコンファレンス・ルーム)

原則月1回の開催で、200回を迎えると言うことは、単純に計算しても16年以上かかるということですから、まさに『偉業』です。この間一人で継続維持に努力されてこられたMさんの情熱あってのことで、頭がさがります。

『横浜フォーラム』は、いまでこそ、異業種に携わってこられた人たちの交流の場になっていますが、最初は、Mさんはじめ、『化学』業界の『エンジニアリング・プラスティック(エンプラ)』に関係する技術者の会合仲間が母体となって発足したものです。その頃、会合は横浜の居酒屋で開催されていたことから、『横浜フォーラム』と命名されました。

『ただの飲み会では芸が無いでしょう』との奥様のご意見にMさんが発奮し、『飲み会、講演会、意見交換会を兼ねた会合』の現在のスタイルが確立しました。講師としてMさんの同窓生(金沢大学付属中学、高校)、大学時代の仲間(東京大学、教養学部、工学部応用化学科、男声合唱団)、その他Mさんの知人、『横浜フォーラム』メンバーの知人などが、次々に招聘されるようになりました。講師には『横浜フォーラム』のメンバーの資格も与えられますので、メンバー数は徐々に増えて、現在100人弱に達しています。講師には、その都度Mさんから『お名前織り込み狂歌』が進呈されることが恒例になっていて、その見事な出来栄えもメンバーにとっては楽しみの一つです。このメンバーでゴルフを楽しもうと言うことにもなり、『横浜フォーラム:教養学部(通常の例会)』の他に『横浜フォーラム:体育学部』も別途開催されることにもなりました。梅爺は、現役引退と同時に『ゴルフ』も引退してしまいましたので、『体育学部』には籍をおいたことがありません。

梅爺が最初に講師として招聘されたのが、1997年ですから、バリバリの現役時代でした。その後現在まで3回の講師を務めましたが、メンバー仲間には6回講師を務めた方もおられ、梅爺は遠く及びません。梅爺の会合への出席回数は85回(出席率42.5%)で、メンバーの中では上位に属するようになりました。しかし、193回(出席率96.5%)のYさんに比べると、これも到底自慢できるものではありません。

今回は記念すべき会合でもあり、三菱重工の現会長、佃和夫氏に『日本の新成長戦略』という演題で講演をいただきました。日本の将来に大きく関る産業界のリーダーのお一人である佃氏の、腹蔵の無いお話は感銘深いものでした。『日本のものつくり文化の原点は棚田稲作にある』というユニークな視点が特に印象的でした。『皆で協力する』『創意工夫する』文化を継承していけば、新しい産業分野(農業やサービス業など)でも、世界に太刀打ちできるという元気づけられるお話でした。佃氏の奥さまは従来から『横浜フォーラム』メンバーの一人で、過去に2回講演をしていただいています。

会合の最後は、サピアタワーの27階にある展望レストラン(メトロポリタンホテル)に移動し、眼下の東京駅を含む夜景を楽しみました。このビル(JR東日本ビル)の現社長のIさんも、メンバーのお一人で、今回の記念会合の開催を支援くださいました。

Mさんの『情熱』が、多くの方の共感を呼び、『絆』が広がっていくのをみるのは、嬉しいことです。

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2012年1月30日 (月)

信ずる、疑う(4)

理性で判断できないことを、そのまま放置できず、『信ずる』か『疑う』かを選択しないと安心できない人間は、同様に、何事も『正しい』か『間違い』と決めないと、やはり安心できない習性を持っているように思えます。

従って、『信じた』ことも、『正しい』か『間違い』を決めないと気がすまないという矛盾した行動にでるのも無理からぬことかもしれません。しかし、昨日も書いたように、もともと『正しい』か『間違い』かを、普遍的に判断できないから、『信じた』わけですから、この行動はやはり矛盾していると言わざるをえません。

『信じた』ことが普遍的に『正しい』と思い込んでしまうと、それを『信じない』ことは『間違い』ということになり、多くの人間関係や、国際関係で対立や紛争を巻き起こす原因になります。これによる悲劇は、歴史上繰り返され、今も続いています。『自分の信じたことは、正しいと信ずる』というように、『信ずる』が、2段構えで利用されるわけですから、実にややこしい話になります。

たとえ2段構えであり、3段構えであろうが、個人が『信ずる』ことは、他人がとやかく言う話ではありませんが、『信じた』人が、それを『普遍的に正しい』こととして、他人にまで影響を及ぼすことは、問題を生ずることになります。しかし、人間は、『信ずる』ことを、自分の中だけで、止めておくことができない習性に強く支配されているように見えますので、『信ずる』と『正しい』は、今後も一緒に論じられ続けられるのかもしれません。梅爺も『信じた』ことを『正しい』と、主張する議論を、気がつかずにしていることが度々ありますので、偉そうなことは言えません。

『信ずる』『疑う』の領域以外の対象に対して、人間が理性で『正しい』『間違い』を見極めようとする行為は、梅爺は、当然のことと考えています。科学者は、自分が抱える疑問に、普遍的に『正しい』回答を得ようと努力をしています。『これが自分の信ずる回答なので、あなたも正しい解答であると信じなさい』などと科学者が言えば、嘲笑の的になるだけです。科学者は、誰もが、もはや『信ずる』必要のない、普遍的な回答を見出そうと努力をしていることになります。

全ての科学者が、『科学教の信者』なのかどうかは、梅爺は分かりませんが、宗教の信者を蔑む権利は誰にもないと同様に、仮に『科学教』が存在するとしても、その信者を蔑む権利は、誰にもないのではないでしょうか。

宗教は、『信ずる』世界であり、芸術は『感ずる』世界ですので、普遍的な『正しい』『間違い』は適用できない領域です。しかし、科学は、まさしく『正しい』『間違い』を決する場であり、『信ずる、感ずる必要のないもの』を見つけようとしているわけですから、共に『立場』の違いを認めたらどうかと、梅爺は願っています。宗教で科学を律することは意味がないように、現状のレベルの科学で宗教を律することもまた、できないと梅爺は感じています。ただし、宗教が『正しい』と主張してきたいくつかの事柄を、科学が『正しくない』と証明したものも沢山あり、この傾向は今後も続くことになりそうです。科学は宗教を否定するためにあるものではありませんが、結果的に、理性で宗教に疑いを持つ人が増えるのは否めません。その意味で、いつまでも宗教と科学は無縁とは言い切れません。特に人間の脳の『情』の領域を科学が解明した時には、宗教は、岐路に立たされるかもしれません。宗教の本質である『心の救い、心の安らぎ』は、『情』の世界の現象であるからです。『情』の世界が科学で解明されていない現状では、宗教と科学が、相手の存在が『気に入らない』と、大人気なく誹謗しあってみても、得るものは少ないように思います。

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2012年1月29日 (日)

信ずる、疑う(3)

数年前に、梅爺の長兄Q翁が、ブログの中に、日本の大学の先生には、『「科学教」を信ずる人が増えている』という発言を紹介していたことを思い出しました。増えているかどうかは別にして、『「科学」は究極において、人間の全ての疑問に答えてくれる』と『信じて』いる方がおられることは不思議ではありません。何故なら、、『「科学」は究極において、人間の全ての疑問に答えてくれる』かどうかは、現状では、誰の理性をもってしても判断できないことですから、『信ずる』か『疑う』しか対応の方法がないからです。

梅爺も、当然このことを判断することはできませんが、強く『信ずる』ことも、強く『疑う』こともできずに、『うーん、参ったな』と、優柔不断な対応にとどまっています。『かなりの疑問に科学は答えるであろう』ことは『信じて』いますが、『全ての疑問に科学が答える』かどうかは、『疑って』いるというのが正直な気持ちです。

梅爺が、大変厄介だと思うのは、『信ずる』『疑う』という話を、『正しい』『間違い』という議論に結びつけることです。もともと、『正しい』か『間違い』かが判断できないからこそ、『信ずる』『疑う』の選択をしているわけですから、ここに、『正しい』『間違い』を持ち込むのは、そもそも、場違いなのではないでしょうか。

『地球は宇宙の星の一つで、太陽の周りを廻る惑星である』という、科学が見出した『事実』は、科学がそう結論付けた論理やプロセスを肯定する限り、私達は『知っている』ことで、よほどへそ曲がりな人でもなければ、『信ずる』『疑う』ことの対象にはなりません。そして、このように『信ずる』『疑う』の対象にならないことは、『正しい』『間違い』の議論の対象になります。

『信ずる』ことは、とりもなおさず、その人は『正しいと信じている』ということですが、そうであるからといって『信じている対象』が、他の誰にとっても『普遍的に正しい』と議論を飛躍させることはできないのではないでしょうか。

『普遍的に正しい』ことを証明しようとすれば、『対象』を『信ずる』領域から、『知る』領域へ引きずり出す必要があります。それができない『対象』は、『正しい』『間違い』を議論しても空しいと梅爺は考えています。

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2012年1月28日 (土)

信ずる、疑う(2)

人間は、自分の理性で判断できない事象に遭遇すると、判断しないままの状況で放置することが不安になり、『信ずる』か『信じない(疑う)』か、どちらかの選択をします。例えば、見知らぬ人と遭遇し、その人と何らかの関係を結ばなければならない時には、有利な関係が結べる信頼が置ける人と『信ずる』か、自分に害になる人と『疑う』かどちらかを選びます。

どうしてこのような資質を保有しているかは、不思議ですが、生物として生き残るために、『次の行動』を起こす必要があるためではないかと梅爺は想像します。上の例では、『見知らぬ人に従うか』『見知らぬ人から逃げる』かを、決めないと、『自分の身が不利なこと(または有利なこと)が起こる』可能性があることを、本能的に感じ取るためと言うことになります。

これは別に、人間だけではなく、我が家で飼っていた犬も、散歩の途中で見知らぬ犬に出会うと、咄嗟(とっさ)の判断で、なつくか、吠え掛かるかの判断をしているように見えました。

理性で判断できないことは、一切信じないなどと、豪語している人も、日常の生活では、瞬間的な『信ずる』『信じない(疑う)』を繰り返しながら、生きているのではないでしょうか。

例えば、人生の進学、就職、結婚なども、自分の選択しようと思う、学校、会社、伴侶が、自分にとって唯一最善のものであるなどということは、どんなに理性を振り絞っても、『判断』できるものではありません。従って、前進するためには(行動を起こすためには)、自分にとって不利はないだろうと最後は『信ずる』しか方法がありません。

人間の、資質は、一人一人全て異なっているわけですから、同じような事象に遭遇しても、ある人は『信じ』、ある人は『疑う』という状況が発生しても、少しも不思議はありません。しかし、人間は一方において、他人も『自分と同じ』にちがいないと勘違いすることが多く、自分と同じ行動をとらない他人が理解できなかったり、時には非難をします。

誰もが理性で判断できることを、理性を欠いているために一人だけ異なった判断をし、行動する人は非難されるのはしかたがないことですが、理性で判断できないことに遭遇した時には、人によって『反応が異なる』のは、しかたがないことであり、当然なことでもあろうと、梅爺は考えています。つまり『信ずる』人と、『信じない(疑う)』人に、分かれる事態は、認める必要があると思っています。

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2012年1月27日 (金)

信ずる、疑う(1)

人間は、自分の理性の範囲で理解できない事象に遭遇した時に、『信ずる』または『疑う』という行動にでます。何故このように振舞うのかは、『安泰を求める本能があるから』などという仮説はあるにしても、現時点では、完全には理解できていないことの一つです。

前に、『「懐疑」と「鵜呑み」』というブログを書きました。

http://umejii.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-7dfc.html

今回は、少し視点を変えて、同じことを考え直してみたいと思います。

『信ずる』『疑う』という対立する行動をとれる能力を保有しているのですから、『信じながら疑う』『疑いながら信ずる』という、矛盾した状態も論理的にはありうることになりますが、どういうわけか、そういうケースは少なく、多くの人は『信じて疑わなくなる』『疑って信じなくなる』と、どちらか一方に重きを置いた行動に走ります。脳にとっては、それが『安心』できる安定した状態なのでしょう。

一旦、『信ずる』か『疑う』に傾いてしまうと、人は、その『視点』で今度は、他の事象にも対応しますので、自分の視点にとって都合のよい事象には、『ほれみろ、やっぱりそうだろう』と鋭く反応しますが、都合の悪い事象は、無意識のうちに避けたり、無視したりします。『私心なく、公平に世の中に対応する』などということは、常人にとっては、無理難題であることが分かります。『信じていることを疑ってみる』『疑っていることを信じてみる』ということが、柔軟にできる人は、大変器の大きい人ということになります。梅爺は、凡人の最たるものですから、『梅爺の色眼鏡』で、世の中を観ているにちがいありません。

『信ずる立場』から『疑う立場』へ、または『疑う立場』から『信ずる立場』へ、移行することは、そう簡単にはできないように、人間の脳はできているように思えます。しかし、『信じていたものに裏切られる』ことや『疑っていたために大きな損失をこうむる』などの、手痛い経験をすると、人間は一転して今度は『何もかも疑うようになる』や『闇雲(やみくも)に信ずるようになる』と、極端から極端へ走る傾向も持っているように思えます。

詐欺師が、疑い深い人間さえも、巧妙に騙すのは、人間のこういう性質をうまく逆手にとるからです。

現実の世の中は、『信ずる』だけで、または『疑う』だけでは生きて生けないようにできているように思えます。『信じる』『疑う』の選択が後刻、正解と判明することも、不正解と判明することもあることを覚悟しておく必要があります。自分の責任で選択したことですから、いずれにしても結果を他人のせいにすることはできません。

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2012年1月26日 (木)

地球外生命体(6)

地球外生命体は、宇宙で『水(液体)』の存在する環境を探すことでもあります。土星の衛星『エンケラドス』のように、本来『水』がないはずの所に、特殊な条件が重なって『水』が存在かもしれない、というような星を探すより、地球のように、『恒星(地球の場合は太陽)』からの距離が『水』の存在を可能にしている『惑星』を探すほうが、効率の良い話です。

この『恒星』からの距離で『惑星』に『水』の存在を可能にする領域を『ハビタル・ゾーン(生物生存可能領域)』と科学者は呼んでいます。したがって、地球外生命体を探すことは、『ハビタル・ゾーン』に『惑星』の存在する『恒星』を探すことと言いかえることができます。

2010年に、地球から20光年離れた『恒星(グリーゼ581)』の『惑星(グリーゼ581g)』が『ハビタル・ゾーン』を満たしていることが見つかりました。アメリカの科学者が15年間観測を続けて見つけたものです。東京工大の井田教授が、『惑星』が出来上がるプロセスをコンピュータでシュミレーションした結果、『惑星(グリーゼ581g)』は、表面が全て『水(海)』で覆われている星であるらしいことが分かりました。『地球』のように陸地は存在しないということです。

『恒星(グリーゼ581)』とその『惑星(グリーゼ581g)』は、誕生してから100億年を経ていることも分かりました。『太陽』『地球』の歴史は46億年ですから、倍も長いことになります。100億年は、生物進化には十分な期間ですので、『惑星(グリーゼ581g)』の『海』と、ひょっとすると『空』には、沢山の『生命体』が存在している可能性が高いと科学者は推定しています。『惑星(グリーゼ581g)』の大気密度は地球の100倍で、『生命体』が『浮遊』しやすいと考えられるからです。100億年の進化可能期間があったとすれば、『生命体』はバクテリアのような原始生物ではない可能性も高いことになります。

現在では、天体観測データをコンピュータが画像処理することで、自動的に『ハビタル・ゾーン』の条件を満たす『恒星』『惑星』を見つけるプログラムさえも出来上がっています。宇宙は、無数の銀河、『恒星』で満ち溢れているわけですから、今後続々と『地球外生命体』が存続する可能性の高い『惑星』が発見されることでしょう。

科学者の多くは、『地球外生命体が存在しない』という主張の方が不自然と考え、更に人間のような高度な『知性』をもつ『生命体』が存在しても少しもおかしくないと考えているようです。

地球の生命体は、海底1500メートルにある『熱水噴出口(300度の温度)』近くで『超好熱メタン菌』として、30億年位前に最初の産声を上げたのではないかと、推定されています。地球外生命体は、どのように誕生するのかは、更に分からないことですが、『水』『高温、高圧』『生命体を作り上げるのに必要な素材(元素)』と言う条件がそろっていることではないかと考えられます。地球外生命体は存在するにしても、見かけは地球の生命体とは、似ているとは限りませんが、構成素材は宇宙環境である以上、ありきたりの元素でできた素材であろうと思われます。

宇宙は、まだまだ謎だらけです。

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2012年1月25日 (水)

地球外生命体(5)

いくら現代科学が進んでいるとはいえ、宇宙に1千億個も存在する全ての銀河の『恒星』やその『惑星』、そしてそのまた『衛星』を特定することは不可能に近いことが分かります。それでも、地上に設置した高性能天体望遠鏡、人工衛星に搭載した望遠鏡(ハッブル望遠鏡)それに、コンピュータの画像処理プログラムを駆使して、科学者は『地球』に似た環境を持つ『惑星』『衛星』の発見に努力を傾注しています。『地球外生命体は存在するのか』という、人類の素朴な好奇心が、科学の原動力の一つになっています。

NHKBSプライムチャンネルの科学番組を観ていて、科学者は『火星』以外で候補となる『惑星』『衛星』を見つけ始めていることを知りました。

その一つは、太陽系の惑星『土星』の衛星の一つである『エンケラドス』です。『土星の輪』は、氷の塊(かたまり)が寄せ集まってできていると考えられていますが、その外側にも『Eリング』と呼ばれる薄く見える輪(これも氷でできているらしい)があり、『エンケラドス』は、この『Eリング』の中に位置します。

『土星』は太陽からの距離を考えても、液体の『水』が存在するとは考えられませんので、その衛星『エントラゲス』も、氷で覆われていると考えるのが常識的です。ところが1997年に打ち上げられ、7年かけて『土星』に近づいた『無人土星探索機カッシーニ』から送られてきたデータを解析して、『エントラゲス』の表面から今でも高さ100キロメートルにも及ぶ『間欠泉(ジェット)』が噴き出していることが判明しました。『ジェット』の存在は、『エンケラドス』の内部に何らかの高圧ガスが存在することを意味します。さらに『ジェット』の主成分は微細な氷の粒であることが分かり、総合すると、『エンケラドス』内部の『水(液体)』が水蒸気になって噴き出し、宇宙空間で氷の粒になって、これが『Eリング』をつくりだしたと推定できるようになりました。

常識的には『水』が存在するはずがない環境で、何故『エンケラドス』内部に『水』が存在するのかは不思議ですが、科学者は『土星』と『エンケラドス』、そして『エンケラドス』の外側を回る衛星『ディオーネ』の相互の位置関係(周期的に変る)で、『エンケラドス』内部の地殻は引力で変形し、その摩擦熱が『ジェット』を作り出していると推定しました。物理法則が不思議のもとを解明したことになります。

『エンケラドス』内部に『水』が存在するから、『生命体』が存在すると論理飛躍はできませんが、『地球』の氷河の氷の中や、極地の氷やその下の海の中に、微生物が存在することは分かっていますので、『エンケラドス』にもその可能性があるという表現は、一概に間違いと否定はできません。

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2012年1月24日 (火)

地球外生命体(4)

地球の生命体は、『生物進化論』を肯定する限り、人間も含め、『最初の単細胞生物』を祖先として、数億年以上の進化プロセス(世代交代)を経て、現在の生物(動物、植物、細菌)へ枝分かれしてきたことになります。人間の『時間感覚』の中で常識的に起こりうる『変化』とは程遠い変容を遂げていますので、多くの人にとって『生物進化論』は直感的に受け容れ難く、『本当かなぁ』と言いたくなりますが、『理』で考える限り、これ以上の説明方法は見つかっておらず、現に、観測や研究で次々に判明する個別事象も『生物進化論』に矛盾していません。時代的にダーウィンの前後では、人間の科学視点が一変しているわけですから、ダーウィンがいかに偉大な科学者であるかが分かります。

科学者は、地球の『生命体』の出現と進化と同じことが、地球外でも起こりうるかどうかを検証しようとしています。つまり、『地球の生命体』という特殊ケースから、『地球外生命体』を『演繹』しようとしていることになります。平たく言ってしまえば『地球に起こったことは、地球外でも起こるに違いない』と推測しています。『地球の生命体』とは全く異なった想像を超えた『生命体』が、地球外には存在するかもしれませんが、それを追いかけているわけではありません。

この論法で、『生命体』が存在する必須の条件として『水』の存在を挙げています。気体(水蒸気)や固体(氷)ではなく液体の『水』が存在するためには、酸素と水素という素材が存在するだけではだめで、温度範囲や気圧がある条件を満たさなければなりません。

従って、科学者は、地球外の宇宙で、『水』が存在する条件を満たす『星』を先ず探し始めました。具体的には、宇宙に存在する恒星(太陽もその一つ)の周囲をまわる『惑星』の中に、条件を満たすものがあるかどうかを探すことになります。『恒星』そのものは、太陽のような高熱の世界ですから『生命体』の存在候補から除外していることになります。

とは言え『恒星』は銀河の中に無数と言って良いほどの数が存在し、その銀河も宇宙には1千億個存在するわけですから、『恒星』の周囲を回る『惑星』を特定することは、砂浜の砂粒の中から、一つだけ特殊な砂粒を見つけるような作業になります。

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2012年1月23日 (月)

地球外生命体(3)

古代の人間にとって、天体で『大きく見えるもの』は、『太陽』と『月』でしたから、これらが不思議の対象となりました。不思議の対象は『神』であるという説明を人間の『推論能力』は思いつきますので、世界各地に『太陽神』『月の神』の神話は存在します。『太陽神』は『昼を支配する神様』『生きる力の源』であり、『月の神』は『夜を支配する神様』『安らぎの源』ということになります。やがて、コミュニティの支配者である王は、自らを『太陽神の化身』であると主張するようにもなりました。

夜空にきらめく幾多の星も、古代人には不思議の対象でしたから、これも神話になりました。『星座』などがその名残です。しかし中には星の運行を観ていて、『周期』があることに気付く『頭の良い』人間も出現します。自然の摂理を『ルール(パターン)』と結びつけてとらえる最初の行為で、『科学』の始まりともいえます。正確な『暦(こよみ)』も、これで作り出されました。『古代エジプト文明』や『インカ文明』は、驚くほどの『天体に関する知識』を保有していたと考古学者は考えています。

『太陽』は、天の川銀河系の恒星の一つ、『地球』は『太陽』の周囲をまわる惑星の一つ、『月』は『地球』の周りをまわる衛星であり、それらの位置関係は相互の引力(重力)で保たれているなどという科学知識を人類が獲得したのは近世になってからのことです。

古代人は、『太陽』『月』『星』と、『神』や仮想上の『いきもの』を関連付けて考え、神話や民話を作り出しましたが、近代人は、これらを『神』の対象として考えなくなった上に、地球外にも『生命体』が存在するのではないかと、科学的な知識をベースに推定し始めました。

太陽系で『地球』の外側軌道をまわる惑星『火星』を、まず『生命体』存在の候補と考えたのは当然で、火星人発見の期待が高まりました。『生命体』には『水』が必須の要因ですので、『火星』に『水』が存在するかどうかがカギとなります。『火星』表面に、かつては大量の『水』が存在した痕跡はありますが、現在は少なくとも地表近くには大量の『水』は無いことが、無人探索機による観測データから分かっています。しかし、火星人はともかくとして、バクテリアのような生物が存在するかもしれないという期待はまだ残っています。

2030年代半ばまでに、『火星』の有人探査を実現すると、オバマ大統領は宣言していますので、その時には『生命体』の有無も明らかになることでしょう。

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