Faith's breach for love and kingdoms is no sin.
英語の諺『Faith's breach for love and kingdoms is no sin.』の話です。直訳すると『恋と王国のためなら、信仰に反する行為も、罪にはならない』ということになります。
キリスト教文化を基盤に持つ西欧社会では、『Faith(信仰)』と『Sin(罪)』は対となる重要な言葉で、日本人が『信念』『罪』と言う言葉に接して思い浮かべる内容とは微妙に異なっていると想像する必要があります。キリスト教文化圏では、最高の美徳は『Faithful(信仰深い)』人間であることで、これも日本流に『信念を貫く』と訳してしまうとニュアンスが異なります。
西欧人にとっては、『信仰に反することは全て罪である』という考え方が『常識』であるはずですが、この諺では、『恋』と『王国』のための行為は『例外』であると言っているわけですから、真面目な人は目を白黒させることになるにちがいありません。
この諺に接して『ニヤリ』とする西欧人は、『人間は、切羽詰まれば自分本位の価値観を優先するものだ』という本性を理解できていて柔軟な思考ができる人ということになります。時と場合によって、『神の教え』も最優先でなくなってしまうという『不真面目(ふまじめ)』な話ですが、梅爺は『真面目』『不真面目』も相対的な価値観であると認識している人が好きです。
文字通りに理解すれば、異教の娘と恋におちたら、自分の宗旨を捨てても構わない、王国のためには、敵国の人間を殺しても構わないというような話になりますから、こんな『例外』を認め始めたら収集がつかなくなるのではと心配になります。しかし、戦争に出向く兵士に王様が、『王国のために敵を殺すことは神を許して下さる』と檄を飛ばすにが都合のよい諺です。
この諺は、『神の教え』を軽視することが目的ではなく、『人間は自分に都合よく価値観を設定するものだ』と言いたいのでないでしょうか。そのために『恋』と『王国』を例に挙げたのも秀逸な選択です。
誰もが『当たり前』と考えている社会常識に、疑念を提示してみたくなる『へそ曲がり』がどの社会にもいるものだと、『へそ曲がり』な梅爺は感じました。平穏無事な環境で『戦争反対』は誰でも叫べますが、自分めがけて敵のミサイルが飛来する時でも、『戦争反対』と叫べますかと問うているような諺なのではないでしょうか。










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